蜀犬な+(蜀犬)

昔飼っていた猫は、私が机に向かって勉学に励んでいる時いつもじっと部屋の片隅を見つめていた。不審に思った私が猫の名前を必死に呼んでも決して振り返らず、ただひたすら何もない空間を睨みつけ、たまににゃぁと鳴いた。


蜀地方は霧が深く見るもの全てを遮るために犬は太陽を見るだけで怪しみ吠えるという。人はそれを無知であり馬鹿であると笑う。ただ太陽を見ているだけで吠える犬なぞ使えない、そんなに吠えてばかりいれば一日中我々は犬の鳴き声を聞いていなければならない、それはいもしない敵に毎日毎日怯えて暮らしているようなものだ、と。


だが『蜀犬な』は決してその犬を笑わない。何故犬が太陽に向かって吠えているかを判っているからだ。犬はただ太陽を見て吠えていたのではない、その先にある何かしら我々には見ることの出来ないものに対して陥穽を構え警鐘を鳴らしていたのである。あの時猫が確かに何かを見ていたように。そうやって見えないものでさえも感覚を研ぎ澄ましていくことで、物事に対する美しい描写を重ね紡ぎだしていくのである。