ジャメヴ

前日まで俺は確かに絵を描いていた、その情報としての正確性は或る程度信頼でき、アトリエ内、俺の周りに居た何人もの友人らが、自らのたかが知れた力量で描いたような或る種吐き気を催す生臭い平板な口から漏らしたわけで、確かに俺は絵を描いていたらしい。


しかし終わってみればこの有様、その日アトリエに現れた俺が席に着くとそこにあったのは俺の記憶にはない汚らしい奇怪な絵画、どういうことだ貴様ら、と意気込む俺に対して冷たい態度の自称芸術家ども、取り敢えず横にいた鈴木の胸倉を掴み理由を問いただす、どどどういうことも何もしし小生がきき昨日見た君の絵はこここのまままじゃないか、ともぞもぞと言い出したので、仕方がないなァ鈴木君は、と言い鈴木の頭を床に打ち付ける。ゴボ。


可哀想な鈴木は目から白い液体を垂らし息を引き取った。


驚愕する自称芸術家どもに次々と問いただすも要領の良い答えを返す奴はいない。一人ばかり、うんあれはあたしが描いたのあんたが描いたんじゃないのだからもう離して、という真っ当な意見を出した川崎と名乗る女がいたが、皆の態度からそれがただの機嫌取りだということが判明し、そいつの喉元にベンチメイドナイフを突き刺す、プシュー、血が吹き零れる。


結局アトリエには死体の山が出来てしまった。



毎日観ている壁が突然見知らぬ存在として俺の前に現れる、その未視感―ジャメヴ―。海馬から送られるパルスの回路混乱によるその感覚は、貴様らが厭という程耳にし或いは体験したと思い込んでいる既視感―デジャヴ―と理論上同じコンポジションを象っていながら、それは一つの別物として捉えることが出来る。それは恐怖というものに関連するだろう。



川崎さんの頚動脈から元気に飛び出した赤い血液たちが、床に吸い込まれ、芽を出し蕾となり、花を咲かせてショーペンハウアーになる。こんにちわショーペンハウアーです、いや、初めましての方が適切になるのかな、俺は訳も判らず軽く会釈する。そんな俺を知ってか知らずか、奴は続けた。人間の記憶は一つの篩(ふるい)の目のようなものだよ、初めは細かい目が粒子を阻み多くのそれらを篩の上に残しくれるが、少しづつ少しづつ目は粗くなってゆき、穴が広がってくる、そしてそこから粒子が下へ下へと落ちていく、あとはその穴が致命的になるのを待つだけだ、粒子は全て消え失せる。


俺はショーペンハウアーを殴った。


鼻から血を噴出させながら、そして尚俺に殴られながらショーペンハウアーは喋り続ける、なぁ君、君は雲一つない空から恐怖の塊が落ちてきたらどう思うかな、例えば隕石だ、隕石が君のケツの穴目掛けて真っ逆さまだ、君ならどうする、ああ避けるだろうね、パッと右左に反復横跳びでもいい、前進するのも手ならバックステップも大いに利用できるだろう、まさか隕石を手で受け取ろうなどという愚かな行為はしないだろう君は間違いなく回避行動にでる、しかしながらそれは篩にも言えるのだよ、つまり


恐怖だ。恐怖が俺を支配する。押し寄せる恐怖に記憶という名の俺の篩は笊と化しそのまま素通り、否、穴が自ら開くのでない、恐怖という存在そのものが俺の篩に穴を開けるのだ。そしてそこから俺の記憶は抜けてゆき、既にそこにあったのに、まるでそこになかったように見えるのだ。そしてこれは単なる記憶の欠落とは言えない。


未視感だ。


そう、貴様の言う通りさショーペンハウアー、と言ったところで貴様は既にこの世にはいないがな、しかしその慧眼だけは認めてやることにするよ、俺は自分の絵に恐怖していた、芸術と呼ばれるその絵から逃げ出し、そして描画力の卓越を俺というアイデンティティに収めようとした。つまりこれは一つの芸術ではなく俺という個を守り通すための防壁だったのだ。そしてそれは俺の絵、否、俺自身への畏怖を促し、俺は俺を忘れようと、忘れたような感覚に陥らせたのだ。


恐怖を安心に変える装置か、恐怖からひたすら逃げる装置か、それがデジャヴとジャメヴの決定的な違い。そしてそれは前を向くか後ろを向くかの人生決定を早くもさせることとも繋がり、俺は後ろ選択した、ただそれだけだったのだ。



防壁が崩れてからこの方、俺は煙草を吸い始めている。