安楽死

医者が安楽死を患者にさせるのは正しい: T or F


面接官は俺に問うた。


人生に置き忘れた何かがあるとしたらそれはあいつだ。あいつは常に俺自身であり、俺を導くいわゆる一つの誘導灯、一心同体であり、しかしそれでいてある種の共有部分を含まない一つの存在であり、そして簡潔に言ってしまえば二人で一つのオブジェクトであった。


その道標が医者という不埒な輩により、依願されたものは仕方がないという理由を以って抹消された時を感じるに、俺はこの面接官の臓物を抉り出したくなる。ある時点で、この答えは完璧と言っていいほどに決定されている。つまり奴らが求めるアンサーはこれ、


解なし。


現状での生存が望めない故に安らかな死を、未来へ繋がる何かを以って生存の見込みを、そしてその投薬を行う医師への重責を慮り忍耐を、僕たちは私たちは決して殺したくはないのです、だから殺しません、だからあなたたちに安息は与えません、与えるのは私たちではなく神です、そしてこの時こそ俺たちは宗教というものに縋り付くのだ。


あぁなんて世の中だろう、死ぬのにも命がけなのだ。



CASE:解:YES



人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね、医者は万能ではない、そして医者は只の人間だ、その彼らに同じ人間を殺せと言うのかね、その罪の十字架を一生一人の医者に背負わせようと言うのかね。(糞物語からの引用を糧にして可哀想な医者たちは自分の罪を拭いいつまでも純真無垢のまま生きようと試みる、それはさながら天上の世界を夢見て糸を登ろうとする悪党どものように)



CASE:解:NO



苦しみと等価値な感情は偏に無というだけなのだ、そしてそれをアブストラクな概念として昇華しうる安らかな死の渇望を、誰にも止めるとは出来ないとは思わないかね、つまり「苦しみという負の事象」×「死を迎えるまでの時間」×「その恐怖」が彼らへ圧し掛かってくる中、いったい誰がこれを止められる、確かに死は終わりだが、その過程への時間を無駄(KILL)にすることによって、彼ら自身を永遠に無駄(KILL)し続けることはさらに不毛なのだよ。(何故ならば時間とは人間だからさ、糞帽子屋の意見を尊重することによって医者は二つの答えは常に合い反し矛盾であることを我々に認めさせようと試みるが、実際は自身の意見を持たない蝋人形、それはさながら吉田文具屋の息子(41)と同じ結末、いつ店を売ろうか毎日考えながらレジで会計をしている)



そしてあいつは「YES」を選らんだ。



答えがない問いの場合、誰もが責任を負わないという暗黙の了解があるため、あいつはひっそりと死んだ、だが俺は責任を負う、俺が選んだ答えも同じ「YES」だからだ。あいつが選んだ答えは俺の答えであり、その他共有しない部分は医者の顔に拳をめり込ませ置いてきた。


投薬をする直前、抜けきった髪の毛と痛々しくやつれた頬でさえもまだ生気を感じさせる凛としたいでたちで、あいつは呻くように言った。


  白鳥は 哀しからずや空の青


   海のあをにも 染まずただよふ


若山牧水やねん、私は青って色々あると思うねん、一つ二つ三つ、って数えられないくらいの青がそこにはあるんやけど、空と海の青の境目にはいったい何があるんだろう、っていつも思うねん、同じようでいて相反する二つの青の中で白鳥は孤独にただ宙を舞っていてや、でも寂しくなんかないねん、谷間にある一輪の百合みたいに、凛として立派に生きとるんや、ほら、よく見ると私、白鳥みたいに見えるやろ?


けらけらと笑うあいつはその数時間後には白い装束を纏い、火葬場へと送られていった。通夜も葬式もなくひっそりと焼かれ、骨は禅林寺にて埋葬された。三鷹の片田舎風景は私に良く似合う、と生前からの唯一の遺言だった。



何故君は「YES」を選んだんだね?



医者の問いに俺は少しばかり考える振りをして答える。



先生、僕は思います、医者は万能ではありません、それは確かです、救える人間の数にも限りがあり、その痛みも辛さも共有するには限度と言う物があります、しかし、医学には夢があります、そしてなにより、愛があります



簡単に言うとこうだ。



貴様を殺す理由が欲しいからだ。