くたばれ健康法

人生の岐路に立たされてからこの方、俺は永遠に電車の中で座り続けているわけであって、奴が止まるたびに糞を吐き出しついでに更なる栄養物を取り込もうと必死になる様を見るにつけ俺はラジオ体操を始めるのだ。一時間半くらいの周期でぐるぐると回り続ける風景は、俺を世界の中心にでも居るように錯覚させる。


ある日、ふと上を見えあげると、網棚の上に一冊の文庫本が置いてあることに気付いた。俺はラジオ体操のついでにそいつ取り上げる。表紙が主張してることを信じるならば題名はこうだ。


くたばれ健康法


はっ、いったいなんだ、いったいこの本は何を表している。ふむ、確かにこれまでも俺は下らない通俗雑誌が網棚の上に置き去りにされては動物園あたりから乗り込んでくる浮浪者どもに回収されていくという一つのサイクルを見てきた。しかし今回はそれとは違う、問題は俺の真上にそれが存在したことなのだ。今まで俺の周りに何かが存在したことは一度もない。何故なら俺の周りは神聖なのだ。何人たりとも侵すことの出来ぬいわゆる聖域、そこには人であっても物であっても存在することはできない。しかしこいつは間違いなく存在している。俺のラジオ体操でも否定しようと言うのか。


恐る恐る俺はページを捲った。



そして俺が見たのは光だ、光としか言いようがない輝きだ。俺はそこに生命の息吹を感じた。爆発しそうな高揚感と原始の胎動がドクドクドク、古代の森の端で噴出する一つの存在による自身の肯定をはかる産声が、胎児が、夢が、進化が…。


光が電車全体を包み終わると最後に残ったのは爆音と地響き、電車は弾性限界を超え引きちぎれ、ラッシュアワーのひしめく人間たちは身体をばらばらにして飛んでいく。俺も例外ではない。腕がもげ、臓物は焼け、目玉が飛び出しながらも何かを見ようと必死にぎょろぎょろしている様を感じ、爆発に巻き込まれていく。なぁマトリックスを見たことがあるかい?ほらあんな感じだよ、一瞬動きが止まってさ、俺は一瞬で高熱と化した窓ガラスにを破って吹き飛んでいくんだよ。だがな、そこには何もない、俺は超人でも何でもないからただ吹っ飛んでいき落ちていくだけだ。何もない、何もないのだよ。そう、俺は死んだんだ。死とはこういうものか、と冷静に考えていたのを覚えている。




しかし何故だか、今日も俺はシルバーシートでくたばれ健康法を読んでいる。