□オズワールド

もし物語りに拳銃が出てきたのなら、それは発射されなければならない、というチョーホフの言葉を信じて、何かしら私の人生にとって特別を保持するような物体に対して有用性を考えたり、なんとかして使用を試みたりして、例えば偶然にも手からこぼれ落ちたバナナの皮を一体どうやって活用しようか、などと頭の中でぐるぐると使用方法を巡らせ、結局のところ滑って転んだりする。


万物には需要と供給というものが必ずあって、これはここに、それはそこに、私はこの時、あなたはあの時、と適時使い回されていくわけで、恐らく殆どの人もそう信じて疑わない。何故なら、それを信じないということは自らの社会性を否定することであり、誰からもどの場所でも需要がないということは、自分が全く必要のないものである証左に他ならないからである。


しかしながら、『オズワールド』に登場するアイテムたちは全くそういうしがらみがない。彼らはそこに存在するだけで自らの自我を保っているのであり、もしも拳銃がそこに出てきたとしてもそれは発射される義務はなく、ただそこに存在するまま、輪廻し続ける世界の中で、ひっそりと暮らすことが出来るのである。いつでも物静かな彼らだが、ただそこに在るということだけでそれは在る、という当たり前且つ重要なことをゆっくりと時間をかけて教えてくれるのである。