時が過ぎ去っていくスピード(二十六件)(20:27)

一昨日くらい、知人に「20歳を過ぎたら残りはカスみたいなもの、時間が過ぎるのは早いし、今君が感じているよりも、何倍ものスピードで一年が経っていく、だから今のうちにやりたいことをしておいた方がいいよ」と言われた。


何故、年を経ていくにつれ、時が過ぎ去っていくのが早く感じるのだろうか、と思った。


普通は【楽しい方が時間が経つのが早く感じる】ものだと思う。というのも、これはかのアインシュタイン氏が仰っていたのだが「ストーブの上に手を置いた一分よりも、可愛い女の子と手を握っていた一分の方がずっと短い」という言葉からも判る通りだ。実際そうであると思う。私も先日、罰ゲームで同級生(♂)とディープキスをしたのであるが、実感したものだ。チェホンマンそっくりの顔に見つめられながらのキスは、いかに心を鍛え上げた私にとっても精神汚染であり、約束の一分を前に股間に膝蹴りを放ってしまった。せめて、Gackt似ならビンタくらいで許したのだが。


そこでその友人に質問してみた、昔は詰まらなかったのか、と。すると彼は、何を言うのか、というような顔で、少なくとも現在よりは面白かったし謳歌していたよ、と答えた。ということは、楽しいか楽しくないかはあまり関係がなく、他の原因があるということだ。


そこで気付いた。


例えば五歳の少年がいたとしよう。その五歳の少年にとって、彼が過ごす次の一年間は、六年間生きてきたうちの一年間だ。つまり、彼の人生の六分の一を占めている。かなりウェイトがある数字だ。


しかし、二十歳の青年にとって、彼が過ごす次の一年間は二十一年間の中の一年でしかない。すなわち二十一分の一。


これはウェイトの問題なのだな、と思った。自分の人生の中でその一年間がどれほどの比率を占めているか。そう考えると、年を経ていくにつれて年月が足早に過ぎ去っていく、という言葉もあながち嘘ではない。これからは、慎重に生きなければ、と思った。(連続更新という無駄とも思えることをしながら)