思春期



思春期と呼ばれる年齢やら情緒が必ず僕たちには訪れるそうで、その実態のない或る種の感情は、僕にとって理解に苦しむような代物だったのだけれども、今なら少しだけそういうものの存在を認めることが出来るかもしれない。十四歳、校庭の真ん中。


僕が通う学校の隣にはロッテのガム工場が建っていて、例えば授業中、窓際の席から空を見上げたりすると仄かな甘い薫りが漂ってくる。鼻をくすぐる匂いが教室中プカプカ浮かんでいるわけで、昼も過ぎると生徒教師を問わず暖かい空気の下で可愛い女の子とか夢みながら眠りに耽ったりする。実際、僕の隣でスヤスヤと寝息をたてている安田も、だらしない顔でよだれを垂らしながら何やら寝言を言っている、どうせ女の子の名前だ。


セミが奏でる絶叫もピークを越え、チャイムが僕たちに授業の終わりと部活の始まりを告げると、僕と安田は体育館でバスケットにいそしむ。取り敢えず三十分ほど汗水垂らし体育館内を走りこみ、その後は総合的なチーム練習に励む、そしてひたすらシュート、シュート、シュート。基本的な練習は毎日変わらずルーチンワークと化しているのだが、大会も近いこの時期、どれだけ基本的なことを試合中に出来るかが問題なのだ。だから僕も安田もバスケ部の皆も、体温と汗と夏の熱気に蒸れた体育館の中、無言で練習をこなしていく。


僕と安田は皆が練習を終えた後もひっそりと静まる体育館で自主的にシュートをうち続ける、だいたい一時間。これも毎日の日課だ。夕焼けも暗闇へと姿を変え、とっくに学校から人気もなくなった七時頃、僕たちはようやく帰路へとつく。体育館の床をモップ掛けし、電気を消す、そして最後の戸締り、守衛さんに挨拶をして帰る、さようなら、って。全て日課


「この暑さ、まじでやってられんよ」校庭の芝生のど真ん中、安田が必死でワイシャツを着ようと試みながらヴォルヴィックを喉に流し込むという器用な行動を取っている最中に僕に言った。その行動があまりに可笑しいの僕がけらけらと笑っていると、「なんだよ、そんなに暑いのが可笑しいか、それとも暑さでおかしくなったか」と言い出したので、確かに今年は猛暑だね、とにっこりと返した。安田は、ふん、と鼻を鳴らした。


そこで安田は足を止めた。


「どうしたの?」と僕が少し後ろにいる安田へ不思議そうに尋ねると、「なぁ、さっきお前下駄箱開けたときなんか入ってたみたいだけど、何あれ?」安田はどこか神妙そうに問いかけた。僕はなんと答えたらいいのかと焦燥していると、安田は続けた。


「まさか、またラブレターとか?」


正解だった。


女の子にも間違えられるような小柄で中世的な容姿であることから、僕はたまに同性から告白される。と言っても、この学校自体男子校なので、女の子から告白されることなど皆無に等しいのだが、だからといって女性の擬似的な物として僕を見るのは正直止めてもらいたかった。


僕は頷いた。


「誰だよ?」


「…E組の高村」





沈黙





安田が僕の両腕を掴んだ。



「なぁ、お前どうするつもりなんだ?」


「どうするつもりって言っても…、どうもしない。返事する勇気なんてないよ」


「でもそんなことやってたって同じことだぞ、いいのか?」


「よくないけど仕方ないよ、諦めてるんだ、責任とか関係ないと思うし」


「おいおい、それは絶対変だって。いくらここが男子校だからってお前がその代用品になることはないだろう。だいたいお前もオトコだろ!?なんで何も言わないんだよ!?こんなことばっかで屈辱じゃないのか!?」


「だって仕方ないんだよ、僕だってそう思われたくて思われてるんじゃないんだよ!僕だってバスケして体鍛えて頑張ってるんだ。別にこう生まれたくて生まれたんじゃないし、そう接してもらいたくて接してもらっているんじゃない。世の中は不公平だよね、僕ばっかりこんな目にあって、皆に影で馬鹿にされて、きっと安田だって僕なんかと一緒にいるから馬鹿にされてるよ、皆そうだったんだから、だから、だから、僕に、僕になんか構わないでいいよ…」


「…」


「…」





僕が黙っていると安田はその少し窪んで虹彩を放つ瞳から、涙の雫を一粒二粒と落とした、僕は初めて見る安田の涙が綺麗だと思った、何故だか判らないけど綺麗だと思った、そして見とれてしまった。





刹那、


僕の腕を掴んでいた安田の手に力が入って、顔が僕の目の前に接近する、


そして


重なる


重なる




さて、何秒くらいだっけ、目の前が真っ白になって、突然スプリンクラーが水を僕たちに向かって吐き出して、まるで急遽振り出したスコールみたいに僕たちのワイシャツを濡らして、それでびしょ濡れになって…、そういえば今日は数学の予習をしないと、なんて思ったりしていて、でも実は時間にして三秒くらい、段々安田の顔が離れて、すっかりスプリンクラーのシャワーで髪の毛が垂れた顔は、なんだか悲しさを象っていた。


くちびるに残る感触と、ごめんと一言残して、安田は校門へ走っていった。


僕は冷たい水の中、くちびるを抓んだりして現実を確かめた。


それは紛れもない現実で、でも非現実でもあった。




雲の切れ目から月が見え隠れしている。


家では数学の予習が待っている。