虚無への供物

例えば生きる意味の喪失を図る。



全てを失い、行動を起こす対象すらもいない世界、一切は無味無色無利益無感動に過ぎ去って往くその状態、周囲を陥穽で埋め尽くされ身動きは取れずレスポンスもままならないこの状況、生きるためだけに生き続けるという矛盾を抱え、自身を唾棄することにより既成的価値の否定を論じる、絶望、そして俺は死に至る。


真夜中に突然目を覚まし冷蔵庫を開ける一つの現実の中で俺は牛乳を飲む、喉を液体が通過し水分を欲していた体に心地好い感覚をもたらす、ここでまず俺は牛乳の存在について暫く思考を試みる。牛乳は白い。それと同時にその色に意味は無い、否何かしらの存在意義をこの色が持っているとはしても、それは単にこの牛乳を認識するに辺り俺の眼に映った組織の色が白というだけであって、それ自体に意味はない、そしてそれはこの牛乳が表している全てのことに言える、例えば冷たさや味覚といった感覚、液体という特性、主観的に捕らえる全ての事柄に対して―或いは客観性に関しても―意味を為し得ない。


そこで主観的な考えを牛乳に対し投影している俺という存在について暫し考える、そして俺が根本的に牛乳と同じ成分で出来ていることに気付く、泡沫状の原子が組み合わさり形成される俺と牛乳を比較する、俺の意義を主観的に考える。頭に浮かぶイメージ、主観的に捕らえた俺という主観的存在を客観的に形成することで得られる抽象性を省りみるに




ここで虚構に暗転 □□□→■■■




生は死の発端、死は終焉であると同時に始原、別離であると同時に自己完結、死によって還元が完成する、ノヴァーリスが死を定義するに至り「生命は自己完結的で無意味な代物」であることを我々に感知させざるを得なかった、つまり死の為に我々は生き、そうすることによってしか存在を定義できないという自己矛盾、終わる為に始まる苦しみ、ここに我らが糞ニーチェ様が提訴し尚且つ現代批判した、あらゆる規定を否定する虚無主義が存在する。


余りにも長い期間を「神」という特定の解釈である虚構の世界に身を置く人間が、その解釈に対して疑問を投げかけ、その世界観、或いは世界そのものへの無価値性の感情を抱く虚無感、そういった無への憧憬は釈迦の時代から「空」として築かれ現代に至るに批判を受けたのだが、それこそニーチェとその他諸々諸君の、人間が生きる意味を喪失することで自らのアイデンティティもろとも消えうせることを恐れての自己保身に過ぎない。


と言ったところで当の釈迦が育てた餓鬼どもは「固定的実体の無=あらゆる存在の繋がり」を示すことで「虚無」と「空」の同一性を否定し批判を避け、物事に対する執着を取り払うことで悟りを得るという戯言を繰り返す日々、色即是空空即是色をもその材料にした。やはり、全価値の無価値化という、一般に目標と呼ばれるものを欠如した人間は用済みであり、世界がそれらの人間を欲していないこと、死というものの不道徳さはどこの世界でも同じなのである。


多くの人間が己の無価値さを呪い死を選んだ、否無ヘ回帰した、生きる意味を失った人間は世界を虚無的に解釈し現実から離脱、それこそが回帰へと繋がる。事実、それは現代においてさらに顕著さを辿り、現実→虚構、という交わることのない平行線の世界間の旅を自らの存在に置き換える措置を取る、言ってみれば自己完結。


シオランは、一切は無であり無の意識とて例外ではない、と生を定義するに当たり言い切ったが、それは我が精神の師であるマラルメをこよなく愛した弟子、ヴァレリーが示した、それはゼロからゼロへの推移であり無意識感覚から無意識感覚へ推移である、との発言に呼応した形を取っていたことが考えられる。自らが目を逸らすことによって存在することが可能な「無」を、加えて無意識ですら存在を確定は不可能であると定義することにより、あらゆる規定が否定であることを裏づけたのだ。


しかし勘違いは全てそこに終結しているのだよ貴様、生きることへの価値観を喪失した上で生きるという矛盾を抱えた人間がばたばたとゴキブリの如く死への行進は始めたのだが、それこそ貴様自身の価値を過信していたという結果でしかない。貴様は矛盾を抱えないという、貴様が当然と考えているであろうことすら包容出来る器でもないに関わらず己を過信する。それくらいは自分にも出来るだろうと過大評価する、矛盾を背負うことでしか自らの自我同一性を保てない単なる脆弱な生き物であるのにも関わらず。そして貴様らは、矛盾を超える価値が自らにあると考えるに至り価値が無い自分を嘆く。


我々は生を受けた時から既に無を得る、つまり無が為に生きている、生きていることが無の本質なのではなく、無であることが生きている証なのだ。無こそが我々の本質であり、我々がそれらが包括する矛盾から抜け出すにはその柵は広過ぎる。脱出は不可能なのだよ。


喩え死に換えたとしても。






  虚無に捧ぐる供物にと


    美酒すこし 海に流しぬ 


        いと少しを 


           ― ポール・ヴァレリー