不自由と自由(四十件)(22:34)

我々は【不自由】を求める。


人間は近代において神からの離脱を指向してきた。神の制御下を離れ、本来持っている自由を求め、社会運動が活性化し、いくつかの戦いと争いが起こった。多くの犠牲者を出したそれは、いつの日か実を結び、我々は自由を得ることに成功したのだ。


ところで第一次世界大戦後に作られたワイマール憲法は、世界初の社会権による自由を認めた憲法だ。その斬新さは、世界でもっとも民主的な憲法であると言わせしめ、ドイツ国民は、自由を、手に入れたかに見えた。


しかし残念ながら、ドイツ国民は自由を手に入れることは出来なかった。


それは勿論、ヒトラの台頭である。ファシズムが国民の自由を奪った。何故か。そこには、多額の賠償金による国民の不満などの問題があったに違いない。しかし、それだけとは私は思わない。


ヒトラは、こう、演説したという。


「私にお前たちの自由をくれ、代わりに、私が、お前たちの責任を持つ」


自由には責任が生じる。我々は自由が欲しい、しかしながら責任は出来る限り負いたくない。だから時には、自由より不自由を求める。自由を捨てることでドイツ国民は責任をヒトラに転嫁し、そして不自由になったのだ。


責任のある自由。


責任のない不自由。


あなたならどちらを取るか。

福袋は何故売れるのか(三十九件)(22:19)

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20080104#p1


消極的自由が詰まった福袋。


私は福袋なるものを買ったことはないのですけれども、確かにそういった嗜好を満たすために買うのもありなのかもしれない。かなり値段的にはお得な筈ですし。そういうのは、なんとなく不自由論に繋がっていくのではないだろうか、と思ってしまいます。


ただ、サイズとかの問題で福袋は買わないと思いますが。

メイク・メイド―4(三十八件)(22:14)


メイド農家は、考えているより難しい仕事だ。


メイドの種を植え、木を育て、実がなるまで。これだけでも大変な作業だ。電脳街に憧れメイド農家になりたいという田舎の若者たち、その大半はここで挫折する。たった一年に一度の収穫期までの重労働は、言ってみれば孤独な戦いのようなものだ。


さらに、立派なメイドとして市場に出すまでには多くの苦労が重なる。


決してご主人様に逆らうことのないように躾を行わなければならないし、テーブルマナーや作法、言葉遣いから笑顔の作り方、高級メイドには対応力なども求められる。近年では子供の教育にメイドを使う家庭も多い。基本的な素養も必要とされるのだ。


「違う、アールグレイと私が言ったらアイスティを指すんだ」


「申し訳ありませんでしたご主人様、すぐにお取替えいたします」


スミレは初めからよく出来たメイドだった。


言うこともよく聞くし、決して逆らうことがない。普通、メイドの出荷期間は二ヶ月ほどであると言われているが、スミレは一ヶ月ほどで出荷が出来そうだった。


「スミレ、君は私が実らせた初めてのメイドだ」と私は言った。


「はい、感謝しておりますご主人様」とスミレは頭を下げた。


「スミレは本当によく出来たメイドだ、一ヶ月もあれば出荷できる」


「ありがとうございます、これからも頑張りたいと思います」


「スミレなら、きっといいメイドになれるよ」


私がアイスのアールグレイを飲みながら言うと、スミレはにっこりと笑った。


教えていない笑顔も完璧だった。

言葉―8(三十七件)(22:02)

「死にたいな。私死にたい」


「どうして死にたい?何故死にたい?」


「今入ってきた蛾が、私のコップの水のおもてに鱗粉をちらしたでしょう。その銀色の粉を見ていたら、急に死にたくなったの」


―不道徳教育講座(三島由紀夫

ドラえもん最終回(偽)(三十五件)(21:50)

http://www.omosiro-flash.com/flash/final_dora.html


ドラえもんの最終回を勝手に同人誌で作り、その完成度から思ったよりも売れてしまい、小学館から訴えられた、とかなんとかという話は聞いてはいたのですが、某所で紹介されており、初めて見ました。これは売れる理由も判る、というような完成度と、美しさでした。