自殺日和の午後

ながらえば必ず憂きこと見えぬべき身の

亡くならんは何か惜しかるべき

源氏物語



僕が自殺したのは丁度お昼休みのことでした。



だいぶ前に見たニュース番組か何かで僕の住んでいる町で一番偉い人が「自殺をする人間は甘ったれている」と言っていて、三日前にニュースをまた見ていると、同じ人が「あの人は自殺することで責任を取った侍である」と声高々に叫んでいたので、僕は不思議に思ってお母さんに「自殺する人は甘ったれているの、それともお侍さんなの?」と訊くと殴られた。頭にコブが出来た。


まずどう考えても僕は甘ったれだと思う。


どうしてかというと、僕が宿題のわからないところをお父さんに訊きにいくと、お父さんは「甘ったれるな」と僕を叱る。だから僕は甘ったれだと思う。それにさっきの偉い人は「イジメられる奴はふぁいてぃんぐすぴりっとがない」と言っていて、意味はよくわからないけど多分甘ったれているということなので、イジメられている僕はやっぱり甘ったれているのだと思う。


これで僕がお侍さんであれば完璧なのだけど、授業で先生が教えてくれる歴史に出てくるお侍さんはとても強くて、とても僕にはお侍さんは務まらないと思った。でも、小さい頃からお母さんに「十一月生まれはお侍さんなのよ」と教えられてきたし、僕の苗字はムライなので、【さ】を付け加えればお侍さんになれるからもしかしたらお侍さんなのかもしれない。甘ったれたお侍さんというのも何だかくすぐったい感じだけど、たまにはそういうお侍さんも悪くない。


そういうわけで、僕は甘ったれたお侍さんらしいので、自殺することにしたのだ。



自殺するのに必要なものは何か、ということを考えてインターネットを見ていると、【完全自殺マニュアル】という本があったのでアマゾンドットコムでショッピングカートに入れて本が届くのを待つことにした。僕はアマゾンさんが凄く好きだ。十八歳未満は買えない、と書いてあっても【あなたは十八歳以上ですか?】という質問に対して、【はい】をクリックさえすれば買えるからだ。それに仕事が凄く速いのだ。僕が注文してから本は一日でやって来た。僕はわくわくしながら郵便配達の人にお金を渡した。リビングにいるとお父さんとお母さんがうるさいので、部屋に帰って本を読むことにした。


本によると、自殺というものは大変らしいことがわかった。


よくテレビでやっているホームに飛び降りたりするのはどうやら家族にも迷惑がかかるし、得策ではないそうだ。一番簡単に美しく自殺する方法は【リスロンS】を大量に飲むことである、と書いてあった。そのお薬は、日本でも昔から【カルモチン】という名前で売られていたようで、【ブロムワレリルニョウソ】という得体の知れない成分を含んでいて、国語の教科書に出てきた芥川龍之介さんや太宰治さんもその薬をたくさん飲んで自殺したそうだ。伝統のある自殺するためのお薬みたいだ。


ただ、よくよく調べていると、どうやらこの薬は既に製造中止になっているらしく、さらによくよく考えてみると、僕にはお薬屋さんでお薬をいっぱい買うお金もないし、もしあったとしても、僕みたいな子供にはお薬を売ってくれないんじゃないかな、と思った。だから僕は他の方法を探してみることにした。


次に美しいとされていたのは【首吊り】だった。


これなら僕にも出来ると思った。用意すべき道具もひも状のものならなんでもいいらしく、出来れば柔らかく首にぴったりとフィットするものが好ましいと書いてあるけど、電気コードなどが例にあげられているので、それなら僕の家にもたくさんある。一つくらい延長コードがなくなってもお母さんたちはきっと気づかないと思う。苦しみも少ないみたいで、痛いのが嫌いな僕にはすごくぴったりに感じられた。


ただし、発見が遅れると大変みたいだ。首がろくろ首みたいに伸びて、お目々が飛び出してしまうそうだ。あとトイレに行くのを忘れると、おしっこや、お尻の穴からウンチがたくさん出てきて、汚くなるとも書いてあった。それはやだ。うんちまみれで死んでたら、またイジメられてしまうからだ。だから、絶対トイレに行くのを忘れないこと。それに、出来る限り発見されやすいところで自殺することだ。学校が一番いいかな、と思った。


そして僕は、次の日、自殺することにしたのだ。



場所は体育倉庫がいい、と思った。


体育倉庫は、夕方のクラブ活動が始まるまで開けられることはめったにない。だから、お昼休みに自殺すれば誰にも邪魔されないと思ったのだ。


4時間目が終わったことを知らせるチャイムが鳴ると、僕はまずトイレに駆け込んだ。うんちとおしっこをするためだ。学校でうんちをすると、だいたいいつもからかわれたりするのだけど、背に腹は代えられない。うんちまみれで一生いじめられるよりはましだ。案の上、トイレで僕が力んでしばらくすると、声が聞こえた。


「おい、誰かがうんこしてるぞ」


「ほんとだ、うんこだうんこまんだ」


「のぞいてやろうぜ」


ガタガタ、という音がしたかと思うと、クラス委員のイノウエ君がトイレのドアをよじ登って上から見下ろしてきた。僕はとっさに身をかがめたけど、その時はすでに遅くて、僕の顔はばっちりとイノウエ君に見られていた。


「おい、ムライだぜ、うんこまんはムライだぜ」


「うわぁー、ムライきたねー、えんがちょえんがちょ」


「げらげらげら」


「げらげらげら」


僕は、うんちじゃなくてちょっとお腹が痛いだけだよ、と言ったけど、くせぇにおいがここまで漂ってくるムライのうーんこげらげら、と一蹴されてしまった。まだうんちは出ていなかったので、僕は余計に悔しくなって、少しだけ泣いてしまった。僕は耐えられなくなって、急いでパンツとズボンをはき、勢いよくトイレを飛び出した。後ろから、あいつ手も洗わないでどっか行ったよげらげら、という声が追いかけてきたけど、無視して体育倉庫まで走った。


体育倉庫には予想通り誰もいなかった。僕は涙を服の裾で拭いて、家から持ち出してきた電気コードを取り出した。まだうんちを出していないのが気がかりだったけど、もうここまで来たら実行するしかない。うんちまみれになって馬鹿にされるのは嫌だけど、またさっきみたいにからかわれるのも嫌だった。僕は嫌なことを先伸ばしにしてしまう駄目な癖があるのだ。その辺が甘ったれなんだろうけど、自殺する条件にはぴったりなので、僕はむしろ誇りに思った。


体育倉庫には授業で使う用具を置くための網棚があって、そこは電気コードをかけるためにあるかのようだった。僕は奥から脚立を持ってきて、コードを引っ掛け、そして丁度よい長さのところで結んだ。これなら脚立を倒せば上手い具合に首が吊れる、と思った。僕が自分の出来栄えにちょっとにやにやしていると、後ろでドアの開く音がして、慌てて振り返るとクラスではちょっと苦手なサチコちゃんが立っていた。


「何してるの」


「ううん、なんでもないよ」


「あー、またムライ君は体育倉庫なんて入っちゃいけないところに入って、イノウエ君に言っちゃお」


「サ、サチコちゃんだってはいってるじゃない」


「私はいいの、たまにここに休みに来てるだけだから」


「僕だってそうだよ」


「それは違うと思うわ、だってあなたみたいなイジメられっ子がこんなところに来る理由がないもの。それに私は何度もここに足を運んでるけど、あなたを見たことないし、それにそんな荷物を持って来るのだから、何かしら行動しようと思っているのでしょ」


「そ、それは…」


「早く言わないとイノウエ君に言いつけるわ」


「そ、それだけはやめてよ、お願いだから」


僕は動揺した。サチコちゃんはいつもは口数が少ないけど、なんとなく目が合ったりしただけで突然僕のスネを蹴るような女の子なのだ。僕が理由を言わないでいたらまた何をするかわからない。あの偉い弁慶さんだって泣いてしまうのだ。僕がまたスネを蹴られたら、自殺をする前に死んでしまうかもしれない。


それでも僕は、自殺することだけは言ってはいけない気がする、と思った。僕が見たインターネットの掲示板では、自殺は高尚なものである、と書かれていて、事前に自殺をほのめかすようなことを言わないのがすごくカッコイイことだと説明されていたし、僕も自殺するならひっそりと誰にも知られずにしたいからだ。たくさんの人に見られながら死ぬなんてなんだか情けないし、実際、昔飼っていた猫のクロスケも死ぬ時はどっかへ行ってしまったのだ。だから僕は嘘をつくことにした。


「うん、実はね、僕ここで、ちょっとエッチな本を見ようとしたの」


「エッチな本」


「そう、エッチな本」


「なるほどね、それなら納得ね」


サチコちゃんは何かを考えるような仕草をして跳び箱に頬杖をついた。僕は少しだけ安心した。これで納得してくれなければ、いつも隠し持っているエッチな本を見せなければならなかったはずだ。女の子にそういう本を見せるのはちょっと恥ずかしい気持ちになるのだ。


「なんて納得すると思ったのかしらこの愚鈍は」


「え」


僕の脳がサチコちゃんの言葉の意味に追いつく前に、サチコちゃんは僕の首に右手を押し付け壁に押し付けた。サチコちゃんの手は今にも折れそうなくらい華奢で僕は見とれてしまった。だけどそんな手に反してサチコちゃんの手はとても力強くて僕は苦しくなってうめき声を漏らしてしまった。


サッカーボールが床に転がった。


「エッチな本を見ようとか、そういうことも納得は出来なくはないけどあまりにも稚拙だわ、だってあなたにはエッチな本を見ようとする行為に対する付加価値としてあの今ぶら下がっている電気コードを説明は出来ないし、それにさっきトイレでイノウエ君にからまれてここに来る理由がないわ。あなたごときが私に嘘をつくなんて愚の骨頂としか言いようがないことね」


サチコちゃんはそう一気にまくしたてるとやっと僕を離してくれた。僕は咳が止まらなくていつまでも地面に手をついてげほげほとしていると、サチコちゃんはまたそれが気に食わなかったのか、僕のお尻を蹴り飛ばした。ひぃぃ、と思わず情けない声が漏れてしまった。


もしかしてあなた死ぬつもりだったんじゃないの、突然サチコちゃんが呟いた。


僕は、ぎょっ、とした。


「電気コードで首を吊る人が多い、って聞いたことがあるわ」とサチコちゃんは言った。「そこに首をかけて死ぬつもりだったのかしら、それなら合点がいくわ、だってあなたは苛められているし、あなたが死ぬ理由なんてそれで十分だものね」サチコちゃんはそう一人で納得してから、高らかに笑っていた。


「馬鹿なあなたは読んだことないかもしれないけど、源氏物語っていう昔の小説があって、そこにこんな言葉が出てくるの、【長く生きていればいやなことが見えてくるのに違いないのに、今死ぬことの何が惜しいことか】。源氏物語ではもっと高尚な意味合いで使われてるけど、私は今のあなたにぴったりだと思うな。だって、あなた、これから生きててもくだらない人生だよ、だったら今死んだほうがずっと楽でしょう、ね?だから、死ねばいいと思うわ」


サチコちゃんは笑っていた。笑い続けていた。あはははは、ってサチコちゃんはずっと、地面に転がっている僕を見下ろしながら、笑い続けていた。


僕は、頭にかぁっーと熱いものがこみ上げるのを感じた。


なんで、だ。


なんで、ぼくだけが、こんなに、ばかにされるんだ。


こんな、おんなのこにまで、ばかにされなゃいけないんだ。


気がつくと、僕は、床に落ちていた縄跳びで、サチコちゃんの、首を絞め上げていた。


「そう、それで、いいのよ」とサチコちゃんは苦しそうに呟いた。「あなたにはそれがお似合い、何も出来ない愚鈍が、力では劣る私を絞め上げて。絞め上げて。それで気が済むのよね、愚鈍は」


「違う、違うよ、僕はそんなんじゃ」僕は慌てて、力を抜く。


「いいえ、違わない。ほら、もっと力を入れて」


サチコちゃんの手が、僕の手に重なる。


「違う、違うんだ」


僕はいつの間にか泣いていた。


涙が、僕の頬を伝い、床にこぼれ落ちた。


その時、怒鳴り声が、扉の外から、聞こえた。


「おいっ!うんこまんムライ!何してんだ!開けろ!」


イノウエ君の声だ。


驚いた僕は、サチコちゃんの首を絞めていた縄跳びを離し、声がする方へ振り返った。そしてまたサチコちゃんを見ると、サチコちゃんはキレイな、本当に、キレイな笑顔を浮かべていた。僕は扉の方へ走った。


そして、僕は、あっ、と思った。


伸びたサチコちゃんの足が僕の足にかかり、僕は足を滑らせてしまったのだ。


後は、簡単だ。


僕が足を滑らせた拍子にドアノブに縄跳びが引っかかった。


勢いよく転んだ僕は、結ばれた縄跳びの隙間へと偶然潜り込んでいった。


すると、これがまた偶然僕の首を、ギュッ、と絞めた。


何かが折れるような音がして、首の肉に、縄が食いこんだ。


そこで、僕の意識は、途絶えてしまった。


そんなわけで僕は今、うんちとおしっこにまみれているわけなのだけれども、後からドアをこじ開けて入ってきたイノウエ君は、ドアノブにぶら下がった僕の死体を見てすごく慌てているし、サチコちゃんはうっとりとしているし、どうやらうんこまんとも呼ばれていないみたいなので、なんだか爽快な気分なのです。